数年前ですが民放テレビにて「さよならぼくたちのようちえん」というドラマが放送されていました、やはりドラマだと現実とはちょっと違うかな?と、思えるところもありましたが、概して無理のない、子役の子供たちの自然な演技の光る、心暖まる秀逸なドラマだったと思います、後半のシーンの卒園式で子供達の言葉の中に「心を一つにがんばった鼓笛隊」という台詞がほんの一瞬出てきましたが、「幼児の鼓笛隊」が日本社会に満遍なく認知されている証明がここでも明らかになりました。
今はむしろ「鼓笛隊」が「マーチングバンド」にマスコミも教育界も切り替わりはじめてる状況ですが、もっとも浸透の早かった幼児教育においては各個別団体の自由裁量に任されている分、まだ色々な鼓笛隊の形態が残っています、園児獲得競争の中での各園の特色付けとアピールの努力はさらに一層求められている様ですが、鼓笛隊の採用団体に関しては、必ずしも効果を発揮していない園が出てきています。
特に、ある一定の厳しさを子供達に課して小学生をも凌駕するような逞しい演技を見せて会場を興奮させても、「マーチング楽しい?」と聞くと神妙な顔をして「うん」と頷く、本心で明るく「うん!楽しいよ!」と言えない子供達ばかりを育て、指導スケジュールの厳しさに教師も定着せず退職者が毎年数名に及ぶ、マーチングの練習時間を多くとるため、バスの中でも練習させ、必須の様々な社会体験も満足に経験させてあげられない、音楽的感性と才能をのばすどころか、幼児の自然な活動のエネルギーを奪い取り、将来の音楽に対する夢や才能の芽を大人の評価と言う自己満足のために摘み取る、こんな園が現実にあるようなのです。
「あの園はすごいよ」と言う噂が一人歩きして、園児が一時増えたことがあったため泥沼にはまっているのでしょうが、この状況を維持するのは大変で本来長続きするものではありません、システムとして確率してしまっているので、意地でも続けるしかなくなっています、プライドを維持しているうちはいいのですが、職員の資質の低下などいろいろな条件が襲ってくるとバランスが整わなくなってきます。
園として強い意志を見せれば、同意して付いてくる父母もいますが、一人の人格の自立と情操のための教育としては大きな間違いであり、しだいに園児数も伸び悩んできます、周辺環境、応対、設備、各種条件など園児獲得には様々な要素がありますが、教育としての道を大きく踏み外しているために、やはりしだいに歪みがでてきて、却ってマーチングを取り入れていることがマイナス材料となっているわけです。
こんな状況を許していてはマーチングによる教育効果どころかマーチングバンド活動そのものが非教育的なものとなってしまいます。
昨今の幼児活動はむしろ大会参加よりはむしろ地域活動を中心にして運動会や地域行事で地域の人々や家族が見守る中で、生き生きとした発表ができるだけで十分です、大会参加は子供達個々の発表体験現場としては大変有意義な物がありますが、園の立場や大人の価値観やこだわりに影響されて、無理に大会発表形態を維持している様子が見え隠れしています。それ程頑張らなくても、十分に教育的に理想的なマーチングバンド活動展開は可能なのです、もちろん大会参加は時間的に可能である範囲で積極的に出ても良いのですが。
むしろ教育的、音楽感性的な方向にさらに高めて行ける事が可能になってきています、もちろん、最低限の時間でも実現可能です。とはいえ我々関係者の目から見ると音楽分野だけ特殊な方向に特化したりこだわりが見えたりして不安定な気がします、おかしな実体のないいわゆる「英才教育」と言う言葉の亡霊がまだうろついている様です、これも日本の音楽文化全体へ西洋音楽の導入から現在に至る社会的位置付けが不完全だったせいもあるのでしょうか?本質的な事象よりはまだステータスや当初の概念にとらわれているからでしょう、まだマスコミも「天才・・・・少年現る!」的にもてはやす気風がありますが、どんな目を見張るような天才児も一個人としての人格が完成するまで、もっと静かに見守ってあげることのほうがはるかに本人にも社会にも有益なのです。
幼児の音楽教育における器楽分野は非常に効果的な分野である事は間違いないのですが、展開方法によっては前述のような間違いにいたる可能性があるのです、それは殆どが実態的評価(パフォーマンスとしての結論)が先に採用され、教育的機能や効果が後にこじつけられているからに他なりません、本質的でない物は淘汰される原理が働きます。
そんな中でCD鼓隊(レコード鼓隊)は発生時点から原形態をあまり崩さずに数十年の時を経ています。
幼児のマーチング活動自体が問題化したのは、そのCD鼓隊の発生期から最近までの中間的時期になって、現状をさらに大人のマーチングバンドの編成とフォーメーションにより近付けレベルアップしようとした試みが一部の団体により始められて、現在の問題(パフォーマンスを重視するあまりに、幼児の発達過程を無視した不必要な特訓を課すアンバランスな保育形態)に至っています。
とは言っても、この幼児のマーチング問題に関しては、幼児の発達過程と教育音楽的視点において解決する方向がそろそろ明確に見えてきつつあります、当然幼児期において必要な事をしっかりと見据えて本質的な教育に力を注ぐ事で、非教育的なマーチング形態は駆逐されていくのですが、このような過剰なマーチング指導を開始したのは幼児の専門家ではなく一部のマーチング指導者が試みに始めて、以外にも幼児がその指導に耐えることが出来たことで、強引に展開されたに過ぎないのです。
CD鼓隊がなぜ長期間継続され、また一部の団体によりそれからの脱却を試みられる経過を辿ったか?それはある意味他の音楽形態に比較して通常の器楽合奏形態としては不完全だからと言えるでしょう、
録音された音源に一定のリズムを生演奏で加えて表現する、これには当然すべてを生演奏化して器楽合奏音楽としての機能と形態を完成させたい要求がおこるわけです、しかし、室内の器楽合奏ではなく、すべての楽器が移動可能な保持形態を取ったマーチングでは多少リスクを伴う事になり、メロディーおよび内声、低音域の楽器的処理を解決するために、最終的に固定楽器にゆだねる事になり、フォーメーションプレイの頻度は打楽器とバンドフロント手具(カラーガードなど)に重点的に高くなり、動きの量も増えてきます、幼児であるからこそ、体力、能力にそった楽曲内容のテンポや音密度がどうしても高くならないからです、そうして結果的に、幼児とは思えない機敏な動作を求めるため通常では必要のない厳しい反復練習を子供達に課す必要に迫られ、ますます幼児期の本来の教育内容とはかけ離れるわけです。
その点CD鼓隊は、町内会の盆踊りやよさこいソーラン、お遊戯会のオペレッタ同様、メロディー、和声など表現としての主要部分は録音音源である形態のほうが、リズム表現的方向に限定できる為、指導側の作業量もかなり少なくなります、
こうなるとむしろCD鼓隊の不完全な部分をより教育的な方向に発展させる、つまりリズム表現分野にしっかりを視点をすえて、マーチング的フォーメーションプレイの部分を大幅に削除しリズム表現の部分の表現力を高めることにより、より音楽的感性を高める、と言うほうがはるかに教育的であり、単位時間も少なくて済むため、他の分野の生活体験などに時間を振り分けられるのです。
但し、教育として内容を高めるには、今ひとつ、保育指導者の従来からの口伝え指導をある意味変革を加える必要に迫られます、いかに質の高いリズム表現を子供たちにリスク無く伝えることが可能か?リトミックなどでもいろいろな試みがなされて来ましたが、後舌母音系の西洋言語形態による情緒表現のニュアンスを含んだ現在のリトミックの方法では、前舌母音系=東洋系発音言語形態の日本人の言語リズムには今ひとつマッチしないものがあるようです。
但し、基礎としてのリズム形態は共通しています、モーツアルトやベートーベンがトルコの軍楽隊に興奮して作曲したトルコマーチにははっきりと、フレーズの強拍部分には1.1.3のリズムが盛り込まれていますし、三三七拍子!など人類に共通する基礎的リズムはたくさんあります、
そういったリズムに関する表現を如何に指導者も幼児もリアルタイムで読むことが出来るテキストとして、それらを絵によって表現するとどの程度までの表現が可能か?と言う事で「リズム絵譜」の実践活動を始めてみるとその有効性がどんどん実証されていきました。
単に親しみ取り付きやすくするための従来当たり前に行われてきたかわいい絵の貼り付けを、音楽リズムを視点に定めた言語のイントネーションと合体させて考えた場合に、その伝達力を始めとした有用性がかなり高いものだと気づきました、そしてその絵譜を拡大して幼児の集団の前で指し示すことによって、幼児集団によるリズムの初見演奏までが可能になってきたのです。
(初級程度のリズム絵譜では指導開始の設定保育時間内に、曲の最後まで到達が可能です、初めて出会ってすぐできる楽しさが幼児期では自信に結びつき、音楽面はもちろん、社会への背極性へと結びつきます、つらい練習に耐えることが必要な年代ではない事をしっかりと意識する必要があります)
これらはCD鼓隊の取り組みの中から出てきたわけで当然いろいろと展開可能になりますが、まずは幼児のマーチングについて非常に無理の無い教育的取り組みが実現できることとなったわけです。
1・質の高いリズム表現による教育的取り組みが「リズム絵譜」で可能
2・無理の無いシンプルなフォーメーションの採用で時間を削減
この2点について幼児のマーチング活動に関してはCD鼓隊形式で行われるのが、最も無理なく楽しく展開でき、感動的で教育効果も高い、と言えるのです。
そして、リズム絵譜によって幼児も教師も的確に読み取って、部分練習の場所も、表現部分の指示も即座に示すことができることは、幼児の音楽リズム教育にとって大きな前進と言えます。
また、教師も前方で指揮をする一点集中型(子供がオーケストラなどと同様に指揮者に集中する)でシンプルフォーメーションのリズム表現CD鼓隊においては、市販されているほとんどの楽曲をベースとしたリズム表現が可能なため(速い曲にも十分についていくことができます)、一部の子供だけではない(楽器やパートによって差が無い)、全員の、リズム感性、集中力、表現力と背筋力、肺活量など体力が明らかに向上し、集会などによるお話を集中して長時間聞き取れるようにもなってきた、との事例も増えています。
マスゲームの様な練り歩きやパターンドリルのようなフォーメーションプレイを中心にマーチング表現をしていると、前述のような効果はあまり得られません、一定の体力の向上は見られるかもしれませんが、自由遊びと比較してそれほど効果的なものではありません、歩行運動に制限されるので、俊敏なリズム表現や一点集中は難しくなり、リズムの切れや変化も限度があります、客観座標をイメージして覚えられるわけではないので、多くの反復練習が必要となります、活動的な動きはそれなりの感動を伝えることができますが、幼児の発達過程において有意義とは言えないことが多いのです。むしろ動きは必要最小限の移動だけにしてリズム表現の形とリズムそのものを美しく感動的にし、楽しい練習によって到達できることが教育者の最も考えるべき方向性なのです。
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